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資料:陪審制度に関する調査2つ

陪審制度に関して、昨年(1999年) の夏に、2つの調査が行われました。
その結果は、まったく逆と言ってよいほど、対照的なものです。  
 以下に、その結果をまとめます。
(結果の まとめ、および感想の文責は、黒沢香です。)

 数字の意味が逆転する場合があります ので、 何もついていない数字、例えば:44.7%は、大きい数字が陪審制度に好意的なことを意味す るようにしました。
 ( )がついている数字、例えば:(65.2%)は、大きい数字のほうが制度 に批判的・否定的な場合に使いました。 
 また調査1については、報告者自身がここにのせた数字(%)を報告書に のせていますが、調査2には、実数がのせられています。比較が容易になるよう、対応する数字を黒沢が 計算しました。
 なお、すべての数字が、複数回答が可能な形でのデー タを前提にしてます。


調査1  1999年9月に実施された調査に協力した 、有名私大の法学部学生85名(民事訴訟法受講生)が回答しました。
調査2  1999年8月に実施された調査に協力した 、京都検察審査協会会員83名(検察審査員の経験者)の回答です。


(1)陪審制度導入のメリットと不安
調査1 44.7%
   (65.2%)

   (76.3%)
 

 陪審制度の導入のメリットについては、 44.7%が言及しています。
 陪審制度導入について、全体の(65.2%)が不安を感 じるという趣旨の意見を述べています。
 陪審制度の導入のメリットを考える人でも、不安を感 じる人が(76.3%)います。
調査2 65.1%
    59.0%
    45.8% 
 陪審制度を導入するメリットとして、司 法が身近になると思う人が65.1%、
 裁判に市民の常識が反映すると思う人が59.0%、
 国民の主権者意識が向上する思う人が45.8%います。


(2)不安の理由と一般市民の司法参加
調査1
   (42.0%)
   (20.5%)
   (17.9%)
   (16.1%)
 陪審制度については、次のような理由から、不安があ ると答えています。
  陪審員が事実認定する(42.0%)、
  日本に受け入れにくい(20.5%)、
  裁判が変質してしまう(17.9%)、
  司法制度の信頼失墜につながる危惧(16.1%)
調査2 96.2%  市民が司法に参加する検察審査会を、良い制度だと思 う人が96.2%もいます。


(3)他者を裁くことと事実認定
調査1
  (66.7%)

  (91.2%)

 自分が陪審員として人を裁くことになっ た場合、気が重いなど消極的意見は
(66.7%)、
 陪審員の事実認定に関して不信感を示す意見、または 職業裁判官をより信頼するとする意見が(91.2%)でした。
調査2 100%
    91.3%
    91.3%
 検察審査員を経験してよかったと思う人 が100%、
 自分や他の審査員ははっきりと意見を述べていたと考 える人が91.3%、
 論議は的を射て適正にされていたと思う人が91.3%で した。


(4)何が問題になるのか
調査1
  (74.1%)
 自分が陪審員になった場合に、感情や外 部の声に左右されずに客観的な判断ができる自信がないとする意見が(74.1%)あり ました。
調査2
  (16.9%)
  (10.8%)
 

   65.8%
 
 

   63.3%

 日本に陪審制度を導入しても、感情に左 右されて正しい判断ができないと思う人が(16.9%)、
 忙しくて裁判に行くことができないと思う人が(10.8 %)ありました。
 しかし同時に、日本人は自分の意見をはっきり言わな いとか、感情に流されて正しい判断を しないとか、素人はいい加減な判断や議論をするという意見 に反対の人が 65.8%いました。
 また、たとえば和歌山カレー事件などのように、裁判 が始まる前からマスコミによって有罪という報道がされていると、いくら裁判官から 公平中立な気持ちで審理するようにいわれても公正な審理は期待できないのではない かという意見に対し、反対意見の人が63.3%いました。


(5)陪審義務について
調査1(75.7%)  陪審義務を国民の義務とすることに対し 、否定的な意見は(75.7%)でした。
調査2
    85.1%
 陪審員に選ばれたときの負担について、 国民の理解が得られると思う人が85.1%いました。


出典
調査1  経 団連の21世紀政策研究所によるアンケート

調査2
 
 「陪審実現に関するアンケート」
     月刊司法改革 2000年2月号(第5号 ) Pp.48〜56.
       [現代人文社 発行] 現代人文社の電 話番号:03-5379-0307


個人的な感想(文責:黒沢 香)
 この2つの調査の対象者は、まったく違ったグループに属する人たちです。
 しかし、もっとも重要な違いは、調査1があまり知識のない大学生で あるのに対し、調査2は実際に検察審査員を体験した人たちであることだと思います。
 これらのデータを比べれば、検察審査員としての 体験がどのような意味を持つのか、推測するのは難しくないと思います。
 検察審査会は、米国の大陪審制度をまねて作られ たものです。
 陪審員だけでなく、傍聴する人も含め、陪審裁判 を体験する人が増えれば増えるほど、ほんとうの民主主義を理解し、社会のために働 く意欲をもつ人が増えると思います。
 皆さんは、どうお考えでしょうか。

 ところで、これら2つの調査は直接比較することを目的に行われたわけではありません。
 実際、まったく別々に行われたものです。(上の比較を、かなり強引だと思われた読者もいると思います。)
 ですから、大学生が答えた質問のうち、検察審査会を経験した人たちが尋ねられていない質問もあります。
 そういう理由で、比較できない質問もありますので、まず、読者の皆さんが次の質問にどのように答えるか、考えていただきたいと思 います。


読者への質問:次の各問に対し、自由にお答えください。

質問1:
 暴力団がらみの事件の裁判で証人として召喚された場合、自分がとると思われる行動。

もっと問題を明確にするには:
 暴力団関係者の裁判では、法廷周辺や傍聴席に、 一目で「支援者」とわかる人たちがつめかけることが少なくありません。証人は住所 、氏名、年齢、職業を確認され、宣誓します。それをメモにとることも、公判後に帰 宅する証人の後をつけて自宅を確認することも、通常は可能です。まず、そういうこ とを考慮してみてください。


質問2:
 自分が刑事被告人になった場合、
   (費用は考慮しないで)どちらのタイプの弁 護人が良いと思うか。
    自分の身に覚えがある場合と、身の覚えがない場合で違いがあるか。
 ◎東京地検特捜部で勇名をはせ、後輩への影響力を維持する検事あがりの弁護士
  (大きな法律事務所に所属。そこは顧問企業をたくさんもち、収入が多い)
 ◎冤罪事件に情熱をもやし、人権派と呼ばれる若手弁護士
  (あまり収入の多くない個人事務所で、女性事務員一人が留守番している)

質問3:
 裁判官は誰も、典型的に数十件から数百件の事件を抱えている。そして事件の内容はたいへんに多様である。
 たとえば商法上の特別背任事件における帳簿の読解力、コンピュータ犯罪におけるコンピュータの仕組み、などの専門的案件において 、すべて問題なく理解できる自信があると答える裁判官の割合はどのくらいか。

             大学生への質問と、その答

質問1:
 暴力団がらみの事件などの陪審裁判に自分が陪審員候補者となった場合、自分がとると思われる行動。
 圧力や恐怖を感じるとする意見が88.5%ありました。
 この答を見て、やはり陪審裁判は無理だと思いましたか。
 それとも、「情けない」「この国はどうなっているのか」と思いましたか。
 私自身は、陪審員をつとめることに圧力や恐怖を感じるという人の割合(88.5%)そのものが陪審制度にとって、特に重要な数字であ るとは思いません。
 もし、証人になるのはよいが、陪審員はいやだ、という意見が多いのなら、話は別です。
 証人もいやだ、陪審員もいやだ、という意見が多いとしたら、この国は絶望的なのかも知れません。
 読者の皆さんは、民主的な社会における国民の義務から逃げることを意味するような答は考えなかったと思いますが、いかがだったで しょうか。

質問2:
 自分が刑事被告人になった場合、職業裁判官に裁かれたいか、一般人に裁かれたいか。
  自分の身に覚えがある場合と、身の覚えがない場合で違いがあるか。
 職業裁判官による裁判を希望63.6%
  身に覚えがある場合とない場合で違いがあると答えた者はごく少数でした。
 上の、弁護士の選択について質問されたとき、あなたはどんな感想を持ちましたか。なぜ、そんなことを質問するのかと思いませんで したか。
 私は、この質問2を見たとき、何のためにこんな質問をするのかと思いました。
 これは陪審制度の本質とまったく関係のないことです。単に、選択肢があるから生じる質問です。
 職業裁判官による裁判を希望するという意見が 63.6 % というのは興味深いとは思います。これが、調査の対象になった大学生たち (有名私大の法学部学生?!)に特有なものなのか、そうでないのか、もっとデータ がほしいと思います。

質問3:
 専門的案件について理解できる自信。たとえば商法上の特別背任事件における帳簿の読解力、コンピュ ータ犯罪におけるコンピュータの仕組み、など
 自分が専門的訴訟の陪審員になった場合に、専門的内容を理解して事実認定を行う自信がないと述べた 人は72.2%でした。
 単なる推測ですが、学生たちよりも職業裁判官のほうが、自信がないと答える割合は低いだろうと思います。
 でも、自信があったとしても、そんなに違うとは思えないし、自信がそれなりにあったとして、単純に、職業裁判官にまかせておけば 安心だと思いますか。
 そもそも、専門的案件を理解できなければ陪審員がつとめられないというのは正しくないと思います。
 そんなことが必要ならば、いま裁判を担当している裁判官はすべて、全知全能の「神様」か、自分の能力をまったく理解しない、恐ろ しいほどの自信家(うぬぼれ)のどちらかではないでしょうか。
 当事者主義では、事実認定者に対して、原告(検 察側)と被告(弁護側)が、問題点が分かるように議論しなくてはなりません。もし 事実認定者が理解できないのなら、裁判は成り立ちません。理解させる責任は当事者 、特に原告(検察)側にあるのです。
 それに、陪審員が理解できないことで、被告人が有罪にされてしまうというのは、現代司法の原則に反します。
 裁判官しか有罪無罪が判断できないのなら、どうやって法律が守られる社会が作れるのでしょうか。
 感想は以上です。データというのは、比較しないと結論が出せないものですね。

黒沢香(千葉大学助教授・社会心理学)
2000年3月9日

陪審裁判を考える会
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