各 論 の 要 約  

1.国民の負担について

 そもそも民主主義社会では、国民が主権者として政治、社会制度の運営に参加することは当然であって、参加を「負担」と表現し、制度の導入をためらわせることは、 民主主義と根本的に相容れない発想である。むしろ、陪審員として国民が司法運営に主体的に参加することによって、国民に社会への責任を自覚させ、法化社会を支える市民層を確実に育成していくことが期待される。陪審員への危害のおそれというのも、そのような可能性が現在の日本にどの程度あるのか、そもそも疑わしい。ほとんどの陪審事件は1日ないし3日で終了することが予想され、陪審員が長期間拘束されるのは極めて例外的である。陪審員は審理が数日にわたる場合もほとんどの事件で帰 宅が許され、隔離されることはない。さらに、陪審員の職務が円滑に遂行されるための企業の協力が十分に期待できる。したがって、「国民の負担」を理由に陪審制の実現をためらう理由はない。

2.陪審裁判は「ラフ・ジャスティス」であるとの批判につ いて

 陪審の評決には理由が付されない。日本の一部の学者と実務家はこのやり方を「ラフ・ジャスティス」と名づけて批判し、現在のわが国のやり方−−動機や犯行態様な どを詳細に認定する−−を「精密司法」と呼んで肯定している。しかし、「精密司 法」の実体は自白調書中心の刑事裁判にほかならないのであり、わが国の制度が真実 を精密に認定していると評価するのは誤りである。

 3.連日開廷に対応する弁護人の態勢について

 現在、弁護人が連日開廷に消極的な理由は、現在の実務において事前の証拠開示が 十分になされていないこと、権利保釈が機能していないために事前の被告人との打ち 合わせが十分に行い得ないことなどにある。したがって、これらの点についての改善が施されれば、戦前の陪審裁判においても特に問題なく連日開廷が実施できたよう に、弁護人がそれに対応することは十分に可能である。

 4.陪審裁判のために報道規制が必要か

 「情報氾濫社会では、陪審員はマスコミ報道に影響されて情緒的な判断をする」と の指摘には全く実証的根拠がない。また、報道規制に効果があるという証拠もない。報道が原因で誤判が発生するというデータもない。むしろ、ヴォア・ディールと呼ばれる陪審員選任手続きが予断を抱いた陪審員を排除する上で重要な役割を果たしている。また陪審制の導入によって、従来の検察・警察寄りの報道よりも、法廷で提示される証拠・証言によって、透明感のある、よりバランスのとれた報道がなされること が期待される。

 5.陪審裁判と上訴制度

 「 陪審裁判では有罪・無罪の認定にさいして理由が付されないので、上訴が十分 に機能しない」との陪審反対論があるが、これも根拠のない主張である。有罪判決に記載される「理由」が被告人の上訴権の実効的な行使にとって常に有益であるいうこ ともできない。陪審制をとっている英米においても、上訴制度は有効に機能しており、陪審制では上訴が機能しないという証拠はどこにもない。

 6.陪審制と現行刑事訴訟法

  陪審制を実現するために刑訴法を全面的に改訂する必要はない。むしろ、亀山継夫最高裁判事が指摘するように、現在の刑事手続を支配している書面主義・調書裁判主義は刑事訴訟法の理念とは正反対のものであって、「新刑訴の理念を貫き、公判中心主義を貫徹するという方向での立法論としてもっとも素直でかつ効果的と思われる のは...陪審制度の復活である」。ただし、集中的な公判審理を実行するためにディスカバリーの制度を設けることと、無罪評決に対する検察官上訴の禁止を明確にす ることは必要である。

 7.なぜ参審制ではなく、陪審制なのか

 最高裁は見解のなかで陪審制よりも参審制を積極的に評価しているようであるが、今回の司法制度改革にあたって、陪審制を是非とも導入(復活)すべきであり、陪審制導入こそが21世紀に向けて真に民主的な裁判・司法を確立するための手段となりうる。国民の代表が裁判結果に影響を与えること、口頭主義・直接主義を実現すること、集中審理を実現し裁判を迅速化すること、証拠の許容性を判断する者と事実認定をする者との役割分担をきちんとし、証拠法を機能させること、などを実 現するためには、参審制では不充分である。
                                     以上