7.なぜ参審制でなく、陪審制なのか

 最高裁は見解のなかで陪審制よりも参審制を積極的に評価しているよ うである。また、「陪審制が無理なら、次善の策として、参審制でもよい」という消極的な支持もある。ここで参審制を否定するのが私たちの目的ではないが、今回の司法制度改革にあたって、陪審制を是非とも導入(復活)すべきであり、陪審制導入こそが制度改革の柱となり、21世紀に向け、真に民主的な裁判・司法を確立するための手段となりうることを、強く主張したい。

(1) 停止されているとはいえ、陪審法がすでに存在する。これを復活させ るのが、当然の道筋であり、うやむやのまま闇に葬ろうとするのは、大きな誤りである。もちろん、現在の刑訴法に合わせるため、戦前の陪審法は若干の手直しが必要である。より現実的には、時代に合わせた改定が望ましい。陪審法を復活(あるいは改 正しての復活)させないまま参審制を持ち込むのは、法の理念も体系も、おかしなも のにしてしまう。

(2) 裁判所法には「別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない」と明記してある。さらに現行の刑訴法も、陪審裁判を想定した英米法の流れをくみ、理念通りの解釈と運用を行えば、まさに陪審制を実現するためのものになっている。裁判所法に参審制への言及はないし、刑訴法も特に参審制を意識したものとは言えない。

(3) 次の各点において、参審制よりも陪審制のほうが、理想をより実現しやすい。
 ・国民の代表が裁判結果に影響を与え、同時に国民の意思を司法制度に反映させる。
 ・刑訴法の口頭主義、直接主義、集中審理を実現、調書をなくし、裁判を迅速化する。
 ・証拠開示と公判前の準備手続をきちんと実施する。証拠法をきちんと機能させる。
 ・明示的な忌避・選任手続により、事件や証拠を「新鮮な目」で評価できる者を選ぶ。
 ・職業裁判官制度から法曹一元への移行を容易にし、司法を国民に身近なものにする。

(4) 現在のわが国では、裁判官が証拠の許容性判断を行い、さらにその証拠にもとづく事実認定を行う。証拠法の観点からは不合理であるが、参審制では特にこれは問題にならない。陪審裁判では許容性判断と事実認定の役割分担がある。もともと法的な許容性判断こそが職業裁判官の専門だから、この判断に参審員の参与を認める根拠も必要性も乏しい。しかし一方の専権を認めれば、両者は初めから対等でな く、その他で対等な合議は期待できない。

(5) 参審員と裁判官が合議するから、一般人が職業裁判官に影響を及ぼすことになるという意見がある。これよりも、職業裁判官と独立して判断し、双方がともに「有罪」と判断しないかぎり被告人を有罪とせず、「合理的な疑い」を徹底できる陪審裁判のほうが優れている。

(6) 参審制のメリットとして判決理由が書かれることを指摘する者もいるが、それを書くのが裁判官であれば、裁判官の力がますます強くなる。参審員に異論がある場合、書き直させることができるだろうか。判決理由を書く立場の裁判官が少数意見だった場合、控訴審で逆転判決が書きやすい判決理由にならないだろうか。

(7) 少人数での参審裁判は、裁判官だけによる裁判と同様、偏りのない人を判断者に求めざるをえない。そういう(超人的な)人間を前提にしており、非現実的である。対照的に陪審裁判では、陪審員個人に偏りがあることが当然で、意見がばらつくことを前提にしており、地域社会内でのばらつきに対応する程度に多様性があることが望ましいとすら考える。陪審にこれを可能にするのは、12人という比較的多数による合議で、参審には望めないものである。

(8) 現在の司法制度をほとんど変えなくてもよいことをメリットと考える参審論者が少なからずいる。椅子をいくつか増やすくらいで、法廷を改造する必要もないとさえいう。しかしそんなことで「司法改革」になるのだろうか。何も変わらないだろう。