明治維新以降強化されたわが国の中央集権機構も、民主主義の進展に伴い地方自治重視の観点から再編を迫られるに至っています。即ち、民主主義は国民が統治される
客体ではなく統治する主体であることを基本理念とする主義であり、民主主義の進展
とは、本来的に統治主体である国民が本来有する権利に目覚め、国民の統治する主体
としての意識が強化されたことを意味すると理解されますが、このことが、司法改革
審議会の、1999年11月19日の論点整理において確認されたことは時宜に適し
たものであると考えます。
また、同じ論点整理において、「国民一人一人が統治客体意識から脱却し、自
律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社
会の構築に参加していくことが、21世紀のこの国の発展を支える基盤である」こ
と、更に「21世紀のわが国社会においては、国民は、……地方分権の進展に伴い、
地域における住民の自立と参加が今後一層重要視されていくものと予想される。」と
述べられた点には、感銘さえ覚えます。
そこで素直にこの方向性を維持し社会を健全に発展させようとした場合には、
陪審制度の導入が必須であると考えます。なぜなら、陪審制度は、国民が司法の領域
において統治権を直接に行使する制度であると同時に、証拠を取り上げる権能とその
証拠に基づく判断が同一人に委ねられるという現行専門裁判官制度の矛盾を解消する
ことができる上、陪審員を経験した国民に、民主主義を支えるということを実感さ
せ、認識させることのできる制度であるからです。
それにもかかわらず、最高裁判所が陪審制度の導入に懐疑的であることは極めて残念なことです。そこで、最高裁判所の見解について、以下に反論させて頂きます。