V.それぞれの問題点・条件についての検討結果

1.国民の負担について

最高裁判所は陪審制導入の条件の一つに「陪審員となる国民の負担」をあげ、その具 体的内容として、(1)仕事や家事などプライベートな面の犠牲、(2)暴力団や過激派の 事件では脅迫や報復のおそれにひるまぬ強い意思と責任感、(3) 連日出頭・長期裁判、(4)ホテル隔離、(5)企業の協力、等をあげている(最高裁総務 局2000年3月30日自民党司法制度調査会におけるプレゼンテ―ション)。

(1) 仕事や家事の犠牲: そもそも民主主義社会では、国民が主権者として政治、社会制度の運営に参加することは当然であって、参加を「負担」と表現し、制度の導入をためらわせることは、民主主義と根本的に相容れない発想である。現在は、これまでの「官任せ」意識が反省されているのであり、司法制度改革審議会も、今回の司法改革が目指すべきものとして、「国民一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自律的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画していくこと」(論点整理4頁)を掲げている。

  陪審員としての社会への主体的参加ヘ、国民に社会への責任を自覚させ、一人ひとりが社会を作って行く体験をさせることによって、法化社会を支える市民層を確実に育成していく。このことは検察審査会制度の実績が証明しており、1949年の制度発足から1997年までの間、129,372件 が処理され、43万人余が審査員、補充員として関与したのである(検察審査会50年史)。また「一日一公判制度」、公判を半日だけ開廷する等、国民の負担を最小限にする工夫も可能で、アメリカでも広がりを見せている。

(2) 陪審員への危害のおそれ: そもそも、そのような可能性が現在の日本にどの程度あるのか疑わしい。裁判官や証人への危害は日本ではほとんどない(証人威迫は年1件未満)。アメリカでも陪審員への接触は犯罪であって、このようなケースはほとんどない。陪審裁判は当事者が選択するものであること、また12名もの陪審員に危害を加えることは一人の裁判官に危害を加えることと比べ、効果に疑問があることも実例がほとんどないことの理由であろう。

  仮に例外的に、公判中や評決後に具体的な危害が予測される事件の場合、陪審員の名前、住所を公開せず、極端な場合には、傍聴席から陪審員の顔が見えないようにする等、個々の陪審員を保護する方策も可能である。何よりも陪審裁判を実際に積み重ね、法や司法制度に対する理解と尊敬を国民一人ひとりのものとしていくことが最も近道と言える。

(3) 連日出頭・長期裁判: 陪審裁判は一日で終わらない場合は連日開廷される。しかし、事前の法律家による十分な準備手続きにより集中審理が実現し、英米や戦前の日本の経験では、大半の事件は1日ないし3日で終了することが予想される。長期裁判は極めて例外である。

(4) ホテル隔離: 陪審員は審理が数日にわたる場合も、ほとんどの事件で帰宅が許され、隔離されることはない。

(5) 企業の協力: 従業員が陪審員を務めることは、 企業にとってもマイナスなことばかりではない。従業員が陪審員として司法に関わることによって法に対する意識が高まり、より幅広い社会経験を備えた人材が育つ。公的貢献を果たすことによる社員の成長は必ず企業にとってプラスとなる。また、従業員が陪審員としての仕事をしやすくするという形で、企業が社会へ貢献することは、企業自身のイメージアップとなる。現に、大阪弁護士会が1997年に行った関西経済連合会加盟企業へのアンケートでは、回答企業の 65.4% が「社員の陪審任務は公休とする」と回答しており、わが国の企業意識の変化を物語る。陪審員となる社員に給与を支払い、有給休暇を認める企業に税制上の優遇があれば、社員を陪審任務に出しやすくなる。またアメリカのマサチュウセッツ州やコロラド州のように、陪審任務の始めの3日間は企業が陪審員給付金を負担し、それ以後は一日50ドル(時間6ドル25セント=最低賃金で8時間労働に匹敵)を政府から支払う制度も可能である。