2.ラフ・ジャスティスとは何か、精密司法とは何か

(1) 陪審裁判では法廷で評決を公表するのに際して、陪審長は理由を付さない。これは国民代表による事実認定に対して権力は干渉しないとの歴史的伝統による。陪審による無罪評決に対しては検察は上訴できない。これは検察と被告弁護側との力関係を考慮したものである。総じて英米の陪審裁判においては、検察側が合理的な疑いをこえて有罪の立証に成功したか否かが決め手となる。当事者主義が比較的純粋に守られていると評価し得よう。このような英米刑事裁判の一般的やり方に対して、日本の一部の学者と実務家とはラフ・ジャスティスと名づけてあまり評価しない。むしろわが国のやり方を精密司法と名づけて高く評価する。

(2) 「精密司法」という用語は松尾浩也教授の造語であり、犯罪の行為態様・生じた結果・犯行動機等々を細部にわたって解明し認定しようとする、刑事司法制度とその運用を指して用いられている。この用語はわが国の刑事司法制度とその運用の方が優れているという意識を、日本の裁判官・検察官にはもちろん、刑事法研究者の多くにも持たせる役割を果たしている。しかし、わが国の刑事司法とその運用が本当に精密であるかには、大いに疑問がある。

(3) 日本では、犯罪の成立要件(実体法=刑法)が細部にわたり、かつ、内心にもわたっている。また、刑法解釈学は、その立証方法如何に無関心なままに、それに輪をかけた法解釈を行っている。例えば、殺人の故意と傷害の故意、未必の故意と認識ある過失など。

(4) 現場等に遺留された証拠からでは、細部までは判明しない。それ故、被疑者を取り調べて供述録取書を作成することが、犯罪捜査の中で重要な地位を占める。しかし、取調べは過酷で、弁護人の立ち会いを認めず、法律上認められた弁護士と被疑者との接見交通もしばしば制限される。多くの学者や弁護士が「人質司法」と批判する所以である。保釈は起訴前には認められず、被告人が否認している場合には起訴後においても認められない。録音・録画もされずに作成される供述録取書には、取り調べる側の思い込みが、色濃く反映することとなる。この点は、目撃者など参考人の供述録取書についても共通である。

(5) わが国の検察は強大で検察官一体の原則で行動する。一度起訴するとなかなかあとに引かない。弁護人の証拠開示の要求には容易に応じない。有罪をとることが至上目的であって、正義の実現は目的ではないかのようである。そして、検察官が作成する供述録取書(=検面調書)は、司法警察員が作成する供述録取書(=員面調書)の上塗り調書である。すなわち、被疑者や参考人について、変遷した供述内容を、矛盾なくまとめたものである。

(6) 裁判官が細部を認定するためには、供述録取書とりわけ検面調書に依存せざるをえない。したがって、精密司法とは、被疑者や参考人の取り調べに依存した司法制度とその運用なのである。このやり方でオールマイティなのは、被疑者の自白供述を詳細に録取した検面・員面調書、および、被告人に不利な参考人の供述を録取した検面・員面調書である。たとえ公判廷で被告人が否認に転じても、詳細な内容の書面には魅力があるようである(=自白偏重)。おまけに、精密司法といいながら、被告人に有利な内容の参考人調書は、法廷に提出されない。

(7) このように精密司法を見ていくと、新しい刑事訴訟法が骨抜きにされ、直接主義・口頭主義が形骸化し、例外的に許されているはずの調書が中心の裁判になっている理由がよく分かる。客観的・物的証拠を軽視し、犯罪の科学的捜査の要請をしりぞけるのも、精密司法だからである。精密司法そのものが虚構にもとづき、冤罪・誤判の温床であり、決して世界に誇れるものではない。当事者主義を徹底、無罪推定を当然のものとし、きちんとした証拠法を機能させ、合理的な疑いを超えて証明されない限り有罪としない、「ラフ・ジャスティス」のほうが、はるかに現実的で あり、問題解決・紛争解決としての司法の役割を十全に果たしうる。

(8) 人権をたいせつにし、国民主権の司法制度を実現するためには、現在のままの強大な検察とキャリア裁判官による精密司法がよいのか、それとも陪審制を 復活させ、現代司法の原則に忠実であり、かつ現実的な裁判制度に移行するのがよいのか、答は明白なように思われる。

 [参考文献:荒木伸怡著『刑事訴訟法読本ー冤罪・誤判の防止のために』(弘文堂 ・1996)¥2300]