4.陪審裁判の前提として、報道規制は必要ではない

(1) 「情報氾濫社会では、陪審員はマスコミ報道に影響されて情緒的な判断 をする」と言われる。実際に陪審員はマスコミの報道にもとづいて有罪・無罪を決定 するのだろうか。そして、事件報道は公正な陪審裁判を妨げるのであろうか。ここでは報道と陪審の関係について検討するが、アメリカの現状と実態をみれば、報道によって陪審員が評決するという可能性は極めて少ないことが理解できるだろう。

(2) 公判以前の報道が陪審に与える影響について、多くの実証的研究が行われてきたが、確かな因果関係は立証されていない。その理由に、研究のほとんどが高校生や大学生、一般市民の陪審員候補者を使った模擬陪審研究であり、実際の裁判での効用については、いまだ不明となっているからである。アメリカのある著名な学者は、もし陪審評決に影響を与えるほどの過剰な報道があったとしても、その様な事件が起る確率は、メディア活動の激しいアメリカにおいても、一万分の一にも満たな いとしている。

(3) アメリカでも報道規制に関する措置はいくつかあるが、報道機関を直 接規制する措置は必然的にメディア界の大きな抵抗を受ける傾向がある。そして、こ れまでの実証的研究は、これらの直接的措置が効果的であるということを示していない。また事件報道を直接的に制限・禁止することはかえって一般市民に正しい情報が伝わらない可能性をうみ、事件当事者・関係者に対しても間違った情報が流れ、公正 な裁判を受ける被告人の権利を別の形で妨げる危険性もうまれる。陪審裁判の報道に 関しては、日本でも同様に直接的報道規制の実質的効果はないであろう。報道機関への間接的規制(裁判地変更など)も考えられるが、被告人の迅速な裁判を受ける権利を妨げ、公正・公平な裁判を受ける被告人の権利を損なう危険性がある。特に裁判地 変更はアメリカより国土も狭く情報密度に地域格差が少ないわが国では有効的措置とは思われない。

(4) 陪審制では、ヴォア・ディールと呼ばれる陪審員選任手続きが重要な役割を果たす。特に過剰な報道がなされた陪審裁判では、陪審員候補者を小人数ない し一人ずつ個別に質問し選択していく個人的ヴォア・ディールが用いられる。この手 続により、先入観を持った陪審員候補者を見分けることができ、また忌避権を使って排除することが可能となる。シンプソン裁判、キング暴行裁判など報道が激しかった事件はもちろん、マスコミによって報道された事件の陪審裁判ではごく普通に行われる。わが国でも、この陪審員選択方法が有効であろう。

(5) 次に、アメリカで実際に行われた裁判の誤判研究について述べてみたい。この種の誤判研究の中で、マスコミ報道による影響で陪審が有罪の評決を出したとされる裁判は一つも報告されていない。マスコミ報道や陪審の能力が原因になった誤判はなく、ほとんどの誤判が、自白の強要・無罪証拠の隠蔽や証人の過ち・虚偽の証言など、圧倒的に警察・検察を中心にしたシステムそのものに問題があったとしている。

(6) 以上の議論からもわかるように報道によって陪審員が評決するという可能性は極めて少なく、報道規制は不要といえる。また陪審制の導入は、従来の検察 寄りの報道よりも、法廷で提示される被告側の証拠・証言によって、さらに透明感のある、よりバランスのとれた報道がなされる可能性を持つ。つまり公正で公平な事件 報道を確立するためには逆に陪審制度の導入が不可欠となる。そして陪審制度の確立 は報道機関を好ましい方向へと適正化させる可能性も持つのである。

 [参考文献:福来寛「報道と陪審、上・下」(日本評論社、2000年、法学セミナー九月・十月号)『司法改革を追う・陪審裁判を考える』に報道と陪審に関する実証的 研究が詳細に述べられている。]