6.陪審制と現行刑事訴訟法

(1) 最高裁論文は、「陪審裁判を可能にするための条件」の一つとして「刑事訴訟手続の抜本的な見直し」を挙げている。これはあたかも、陪審制実現のために は現行刑事訴訟法の全面的な改定が必要であると言っているように読める。しかし、決して「刑事訴訟法の抜本的な見直し」とは言っていない。多分、この論文を書いた 人も陪審裁判実現のために刑事訴訟法の全面的改訂が必要であるとは考えていないの であろうと推測される。

(2) 陪審制実現を阻害するのは、法ではなく、現実の手続運用にある。も っと言えば、刑事訴訟法をその本来の姿に即して運用するシステムとしては陪審制こ そもっとも相応しいのである。亀山継夫最高裁判事が指摘するように、現在の刑事手 続を支配している書面主義・調書裁判主義は刑事訴訟法の理念とは正反対のものであって、「新刑訴の理念を貫き、公判中心主義を貫徹するという方向での立法論としてもっとも素直でかつ効果的と思われるのは...陪審制度の復活である」。

(3) 陪審裁判を機能させるために必要なのは、現行刑事訴訟の基本的な理念や構造に忠実に仕事をしようとする人材である。現行刑訴法を改変することではない。検察・弁護双方の法律家が書面に頼らずに、陪審員の前で証人の口を通じて証拠 を提示し、さまざまな証拠を適切に要約し、説得的に弁論する技術を持つこと。そして、裁判官が弁論のルールを公正に運用し、証拠の許容性を的確に判断することであ る。これらはすべて刑事訴訟法が本来前提としていたことである。この前提を50年かけてすべて形骸化して出来上がったのが現在の「刑事手続」である。必要なのは刑事訴訟法を改訂することではなく、それを忠実に運用することなのである。

(4) 現行刑訴法の理念や構造をそのまま生かした上で、陪審裁判を機能させるために若干の手続を付加することは必要になるだろう。それは以下のような手続 である。

 1)ディスカバリー: 公判審理を集中的に行うためには、公判前のディスカバリーが必要である。検察官は、手持ちの証拠資料を事前に弁護人に開示し、 弁護側に公判準備期間を与え、十分な争点整理の後に、集中的な公判を行うのであ る。

 2)検察官上訴の禁止: これは本来日本国憲法39条が禁じていることであるが、50年前の最高裁判例がこれを合憲として以来、無罪判決に対する検察官上訴が定着してしまっているので、この点を法律で明確に禁じておく必要がある。 陪審の無罪評決を職業裁判官が破ることができるのでは、陪審裁判の意義は半減し てしまうで あろう。実際、陪審制の裁判で、検察官上訴を認めている国はない。

(5) なお、最高裁論文は「陪審員の事実認定はいわば天の声であるから、 これを不服とする上訴も許されないことになる」と述べているが、これは何かの誤解であろう。陪審の有罪評決に対して、被告人は、訴訟手続上の問題を取りあげて、上訴できるのであり、上訴審が有罪評決を破棄したときには、もう一度陪審による公判 がやり直されるのである。

(6) 以上の手直しだけで陪審裁判は即実現可能である。そして、その運用を通じて憲法や刑訴法の基本理念を形骸化するのではなく、それを生かす方向でシステムを改善することが期待できるのである。