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陪審裁判 連続講座 第1回

作家・伊佐千尋さん

2004年5月14日   横浜開港記念館
横浜開港記念館  今夜ここにお集まりのみなさんは、ペントハウスとかプレーボーイなど、アメリカの雑誌の頁を開いたことがないかも知れません。 女性のヌードが売り物の通俗雑誌で、読者の水準も高いとは思えないのに、特集記事もしっかりしたのがあり、カートゥーン(風刺漫画)にも面白いのがあります。
 二つほど、紹介しましょう。
 一つは法廷場面で、検察官が強姦犯人らしい男の被告人の重要部分を指して、「コーパス・ディリクタイ」とだけあります。
 "corpus delicti" は犯罪のボディ、罪体、あるいは犯罪構成事実を意味する法律用語ですが、死体など犯罪の対象たるものを指すこともありますが、この場合は「あれが、元凶だ」ともじっているのでしょう。
 corpus delicti の意味を知らなければ、この漫画の面白みはありません。
 もう一つの漫画は、若い女性が警察官に何やら訴えているシーンで、
「私は、インコミュニカードーに十七回も強制されたのよ」
 ”I was held incommunicado seventeen times, you know."
 と、さめざめ泣いているのです。
 インコミュニカードーは、密室で外部との連絡を断たれ、「監禁されている状態」を指し、これも法律用語で、被疑者が身柄を拘束されて、弁護人の助けも得られないまま、面会も禁止、接見を妨害されたときに使われる「独房監禁」を意味します。
 そのような孤立無援の状態で、相手の求めに従わざるを得なかったけれど、「自分の自由意思ではなかった」というわけでしょう。
 インコミュニカードーを利用して被疑者の自白をとる警察官に「任意性」を訴えているのも皮肉です。
 私が興味を惹かれたのは、これらアメリカの通俗誌の読者の知的水準は平均的と言われるのに、こうした裁判のシーンや法律用語が一般市民の間で日常的に使われ、理解されているという点です。
 独房監禁は、代用監獄に通じます。取り調べのためには、これが必要だと公言を憚らない元東大総長平野龍一さんのような学者もいますが、それがフェアでないことは、英米の市民の常識になっています。
 それだけでも彼らの知的水準が低いなどとは、とうてい言えませんが、かつて中曽根さんが総理だったころ、「日本の文化は、ヒスパニックなどのいるアメリカに比して一般的に高い」と人種差別的な発言をして物議をかもしたことがあります。
「行刑法(刑の執行について定める法律)は、その国の素顔」といわれ、また、シェーファーというアメリカの学者は、「ある国民がもつ文化の性格は、その国の刑事裁判のあり方によって、おおよそは判断することができる」と述べています。
 訴訟の成り立ちが、市民の自由・尊厳にとって非常に重要な関係にあり、国民の基本的人権が刑事裁判の上でどのように保障されているかを見れぱ、その国の文化のあり方を考えることができる、という意味でしょう。
 中曽根さんのように、もし日本の文化がアメリカに比してずっと高いと言うなら、わが国の刑事訴訟のあり方もずっと高く、開明的でなければならないはずです。人質司法、インコミュニカードー司法、調書裁判などと世界の物笑いとはなっていないはずです。
 ところがわが国の刑訴と運用は全くその逆で、少なくても五十年、いや百年は遅れているという事実をどう解したらようでしょうか。
 その答えを、これからみなさんと一緒に考えてみましょう。

(1)轡を紆げず
 去年、大阪の「陪審裁判を復活する会」が主催し、大阪弁護士会後援の連続セミナー「陪審制度を学ぶ」第一回のスピーカーとして招かれました。石松竹雄代表を始め、野々上友之判事、明賀英樹弁護士、甲山事件の山田悦子さんらが五回にわたってセミナーを受け持ち、たいへん有意義だったと思います。
 今日はそのときのテクストと、昨年秋、専修大学で行ったセミナー「司法改革の原点」をベースにして、話を進めたいと思います。

 さきほど、ここへくるとき乗ったタクシーの運転手さんにちょっと水を向けたのですが、どうも司法制度が変わることに関心はないようでした。
 一方、新大阪駅から乗ったタクシーの運転手さんは、「今度、裁判の仕組みが変わって、アメリカのような陪審裁判になるんだそうですね」
 と声を弾ませていました。
 現在、立法化の手続きが進んでいる裁判員制度についてですが、無作為に選ばれた一般市民が裁判官と一緒に刑事裁判の審理や評決に当たって、「英米の陪審制とドイツの参審制の長所を生かした我が国独自の制度」を目指すものと言われます。
 陪審制では、市民から選ばれた12人の陪審員が1人の裁判官とともに審理を行いますが、有罪か、有罪でないかの評議には裁判官は加わらず、市民が独立して主体的に判断します。
 参審は、同じく一般市民が裁判官とともに合議体を構成して裁判を行うドイツで発達した制度ですが、裁判官3人に対し参審員は2,3人といった少数です。
 陪審と参審とでは、市民参加の度合いが異なるうえ、評議に裁判官が加わるのと加わらない根本的な差があります。
 先程の運転手さんの言葉を聞いて、さすがに大阪だと思いました。東京より市民の司法意識が高く、市民が有罪か無罪(有罪でないか)を決める陪審制度の方が現在の官僚裁判官制度よりも民主的で、よりよい制度だと肌で感じとっているようです。
 なぜか東京よりも大阪の方が、一般市民が市民的自由、市民的権利を求める空気が強いように感じられます。高等裁判所まで、東京よりも大阪の方が同じ性質の公安事件など、控訴を棄却して無罪にするケースが比較的多いという指摘を十数年前「判例タイムズ」で読んだことがありますが、これも市民の意識と無関係ではないように感じました。
 裁判というものは、社会の意思を反映したものでなければなりません。そして裁判が適正であってこそ、裁判所は民衆の信頼を得るのであって、適正ならざる裁判は被告人の権利を侵害するだけでなく、被害者と民衆の利益を等閑にするものです。罪なきものが罰せられるようなことがあれば、被告人の権利を著しく侵害するもので、そのような裁判が国民の信頼を得られるわけはありません。
 裁判の生命とするところは、民衆の信頼に尽きます。
「裁判の適正とは、人権の保障にあり、それは事実の真相に適し、法律の所定に合するを謂う」
 と、大正の昔、大場茂馬博士が『陪審制度論』の序に述べておられます。
 今度の司法改革が、国民の信頼を繋ぎ止めるためには、市民の支える司法を目指して市民が支持するものとならなければ、不成功に終わることは目に見えています。
「この重要な問題について、国民の司法意識乃至は関心が薄く、司法改革の論議がうまく進まないのは、国民にも一半の責任がある」
 内閣が設置した司法制度改革審議会の発足後しばらくして、中坊公平委員が東京の弁護士会館で「統治客体意識」とかについて話されました。
 改革審の委員の構成は、最初から中坊さんたち「革新派」の意見が通らないような人選になっており、その苛立ちだったのでしょうか、統治客体意識だの統治主体意識だのややこしい表現になって、いきなり国民の司法意識が俎上に載せられたのです。
 つまり、裁判制度について国民の関心が薄いから、制度の改革をいくら提唱しても、うまく進まないのは国民の関心の薄さに責任の一半があるという自己弁護のようにも聞こえました。
「国民の司法意識が薄いという指摘はわかるが、いったい誰がそのように仕向けたのか?」
 次に演壇に立った僕が異論を挟みました。
「意識を変えなければならないのは、むしろ法律の専門家ではないか。市民を低く見て、邪魔者あつかいにし、自分たちで勝手に都合のよい制度を作る。自分たちで機能しない司法制度を作っておいて、それが機能しなかった場合には、必ず国民のせいにする」
 法の中枢が、国民の意識が高まるのを嫌って、あるいは恐れて、意図して国民を司法から遠ざけたからこそ、国民と裁判所の間の溝が深まったのではないか。
 判決に社会の意識が反映されることは少なく、国民不在、官僚裁判官だけに有罪・無罪の決定を委ねている独断主義の法制のもとでは、国民の関心が薄れ、司法から遠ざかっていくのは当たり前です。
 それを非難するなら、反省すべきは法の中枢、法務省や最高裁事務総局あたりです。
 僕は大体そのように意見を述べ、中坊さんの指摘に反対しました。
 裁判という「高度に知的な作業」は、裁判官・検察官・弁護人の法曹三者にしかできないと国民に思いこませてきた法律家自身にも大きな責任があると言えます。
 司法当局が、国民の関心が薄いというのを口実にして、司法を自分たちの手に独占し、市民をできるだけ遠ざけようとしているのが目に見えます。
 重要な問題点をすり変えたり、知らぬ顔の半兵衛を決め込んで国民の注意をそらしているのもずる賢く、フェアではありません。
 僕が案じるのは、さきほどの運転手さんの期待が裏切られるのではないか、市民の求める陪審制とは似て非なる奇形的な裁判員制度が、果たして市民の期待する市民の信頼を支える制度となる得るか否か、ということです。

 昨年来、裁判員制度について、新聞は裁判官と裁判員の人数比が「最大の検討課題」になっていると報じていました。
 矢口元最高裁長官も、
「裁判官1人に対し裁判員の数は11人が望ましい」
 と提言し、その一方では、
「謙虚に市民の声に耳を傾ければよいのであって、裁判官3人に対し、裁判員は2人程度でよろしい」
 という最高裁事務総局や現場の裁判官の主張はかなり根強いものでした。
 それを承けたのが、改革推進本部の「コンパクト論」で、無知な市民裁判員に11人も入ってこられては論議がし難いというのでしょう、もっぱら問題点は裁判員の数に集中され、一方ではいいことを言わせて国民を安心させ、他方では自分たちの望むところを押しつけてくる政府の常套手段のように思えてなりません。多様な経験をもつ市民が審理に参加し、社会常識を反映させる重要性を押しのけているのです。
 陪審制を主張してきた日弁連も、事の成り行き上妥協もやむなしと思ったのか、初心を忘れて、相手方の土俵で相撲をとらされている感じがします。
 相手方の土俵とは、政府主導の論議のことです。政府に主導されて、ろくな司法改革はできません。むしろ、政府の望む形の改悪、司法の後退になる恐れがあります。「裁判所が国民の不利益を計るわけはない。裁判所の利益は国民の利益と一致する」 という裁判官もいるでしょう。しかし、ともかく頭の固い人たちですから、そうした「力関係」あるいは「天下の情勢」を見ると、最高裁をはじめ権力側は、
 ーー陪審制は絶対ダメ、最大に譲歩しても参審。
 という線が最初から引かれていたように思います。
 1999年11月、日弁連の「司法改革実現に向けての基本的提言」に、
「まず刑事重罪事件について陪審制を導入し、さらに刑事軽罪事件への陪・参審制、国や自治体に対する損害賠償請求など一定の民事事件に陪・参審、少年事件に参審制導入を検討する」
 とあります。
 勿論、これは立派な提言ですが、東京で「陪審裁判を考える会」が発足した20数年の昔から、僕は陪審制と参審制を一緒に、あるいは二者択一の問題ととらえる展開を警戒してきました。
 大阪の「陪審制度を復活する会」の発足の席で、ある弁護士が、
「参審制も視野に入れて議論したら・・・」
 と発言したとき、会場は危うくこれを肯定しそうな雰囲気があり、僕は唖然としました。誰も反論しなかったら、一言あって然るべしと思っていたところ、佐伯千仞先生が憤然として独り立ちあがり、
「陪審制を復活しようという会であるから、その必要はない」
 と厳しく言われたのを思い出します。
 先年、なぜか平野龍一氏までが大阪へ出向いてきて、
「なぜ陪審制が復活しなかったかというと、復活する必要がなかったから50年が過ぎたのである。今になって復活せよとは三百代言ではないか」
 と意味不明の参審論をぶったときも、
「三百代言は、そのまま平野先生にお返ししよう」
 と佐伯先生が強く反撥されました。
 平野さんはいったい誰の差し金で、論とも呼べないこんなつまらない話をしに大阪までわざわざやって来たのでしょう。
 法務省や最高裁事務総局あたりを背後に感じますが、でなければ、平野さんは耄碌されたとしか思えません。
 参審では司法への市民参加とならず、それさえあるに、二年前、最高裁事務総局が提起した「評決権なき参審員」というのをみなさんご記憶でしょう。市民の声は聞きおくが、最終判断はこちらがするという時代錯誤もいいところ、世界のもの笑いの種でした。
 参審制度は陪審制度と根本的に異なります。参審には裁判官が評議に加わり、陪審には加わらず、独立して主体的に評決を行うところに根本的な差があります。
 ドイツの参審もフランスの陪審審も、裁判官が評議に加わるところから、これを同じような制度だと勘違いする向きがありますが、実はフランスの陪審はドイツの参審とは本質を異にし、陪審的な要素が多く採り入れられています。
 ところが、ドイツのもフランスのも同じような参審制度と錯覚されている傾向があり、そこで元新潟大学教授の澤登佳人先生は、
「ぎりぎりまで陪審で頑張ったうえ、譲歩の最終ラインとして、どうしても陪審はダメで参審というなら、フランス式にしたら・・」
 と妥協する態度を見せたらどうかと提案されたわけです。
 先方はフランスもドイツも同じような参審と思っているから、案外乗ってくるかも知れない。いわば名を棄てて実を取る戦法です。
 僕もフランス型だったら、裁判員を9人以上とすることで妥協することも考えねばならないと思い、日弁連との会議の席ではそれが「譲歩の限界だ」と意見を明らかにしておきましたが、その後の展開が全くおかしい。裁判員の数を増やせば、それで改革は事足れりとし、あるいは、そこで多少の譲歩をして他の重要な問題をそらそうという先方の魂胆が見えてくるのです。
 改革審の中坊さんたちは、裁判員制度が提起されたとき、なぜ裁判員の数や独立評決制について、はっきり決めておかなかったのでしょう。「力関係」で後日の論議に託したとはいえ、一体何時からこのような低次元の論議になってしまったのでしょうか。
 裁判員の数は勿論重要ですが、その議論の前に根本的に重要な問題がたくさんあり、なぜそちらの方の論議が等閑に付され、世間には聞こえてこないのでしょうか。

 今の裁判で最も奇妙に思うのは、例えば、新潟の遠藤事件(轢殺事故)を挙げましょう。
 事故直後、犯人のものと思われる車と現場手前ですれ違った中川さんは、重要な目撃証人です。
「そのトラックの特徴は?」
 という検察官の主尋問に、
「冷凍車のような白っぽい、荷台が四角い箱みたいな感じの車でした」
 と証言し、これは最初から警察の調べでも一貫しています。
 ところが、検察官が起訴した被告人の車は「平ボディで、空荷」のまったく異なる車でした。被告人は犯人ではないということになり、検察官にはまことに都合が悪い。
 そこで、公判立ち会い検事が交替した後、次の立ち会い検事は、中川証人の検察官面前調書(検事調書)を証拠として法廷へ提出しました。これは公判の証人尋問請求に先立ち、あらかじめ中川証人を検察庁へ呼び出して取調室で作成しておいたものです。
「すれ違ったトラックは、少なくとも冷凍車のようなものではありませんでした」
 と訂正した内容になっています。
 いきなり「冷凍車」が出てくるのも変だし、「少なくとも」と断り書きするのも不自然な感じがします。
 しかし、中川さんは市民の良心を守りました。検察官に因果を含められていたにも拘わらず、公判では見たままを正直に答えたのです。
 ところが、裁判官は、
「同人が生まれて初めて法廷で証言することで、いささか冷静さを失い、自己の記憶を正しく再現し得なかった傾向を窺い取ることができ、にわかに措信し難い」
 と苦しい弁解をして、法廷での証言を退けているのです。証人を法廷に呼び出しておいて、失礼な話です。陪審員だったら、こんなバカなことはしないでしょう。
 裁判官は、被告人の供述(自白)調書についても、
「事実を認めないと身柄を拘束すると被告人に心理的強制を加えたとの主張も、そのような強制を被告人が受けたものとは認め難く、弁護人の主張も失当である」
 と有罪を宣告しました。
 ここが日本の裁判所と英米の裁判所の違うところです。被告人に自白を強制したか否か、つまりその任意性の最終的判断は陪審が決めます。証拠法に従って一応裁判官が許容性を判断しますが、陪審がそう思わなければ全く反対方向、つまり自白を自白と認めないのです。
 日本の裁判所や検察・警察が陪審制を復活したくない理由は、ここにあると言ってもよいでしょう。他の手続きでも、彼らの司法独裁権は信じられないほど強く、国民にとってアンファアです。
 遠藤被告人は、泣き寝入りしませんでした。その後、14年にわたって無罪を主張しつづけ、僕がこの事件について初めて雑誌に書き、『目撃証人』という本を出したのは、1990年のことでしたが、幸にしてその後、最高裁で公正な島谷六郎判事が異例の破棄自判によって、事件に終止符を打たれました。
 石松先生が、裁判員制度について、疑問を投げかけておられるのも、以上のような参考人および被告人の取り調べと、その供述調書の証拠能力について問題視されているからだと思います。
「現在の捜査・公判の運用を前提とする限り、自白事件の実質的証拠は、捜査段階で作成された書証であり、否認事件においても捜査段階で作成された多数の書証が同意書面として証拠調べされ、被告人の自白調書も任意性有りとして証拠として許容されるのが実情であるが、これに対してどうのような態度をとるのか」
「現状のままで実施しようとするのか。その場合、書証の証拠調べはどのような方法で行おうとしているのか。現在では、裁判官が法廷外(自宅も含めて)で読むことによって判断を形成しているが、裁判員はどのようにして判断を形成するのか」
 と厳しく疑問を投げかけておられます。
 4年前、改革審の中間報告が出る少し前のことです。東京の大手町で日本法律家協会(判検事出身の方が多いそうです)主催の、いわば「参審制度をぶち上げる会」があり、佐藤博史弁護士が例によって反陪審、参審賛成論を述べました。
 英米法の庭山英雄さんも近くに同席していましたが、僕たちが質問したくても、とうてい受け付けてくれるような雰囲気ではなく、最後に検事出身のある弁護士から、次のような質問がありました。
横浜開講記念館
「法律を知らない参審員を相手に、職業裁判官は検事調書の証拠能力など、どのようにして認めさせるのか。認めない場合、どうするつもりなのか」
 という意味の質問で、問題提起の是非はともかく、現実的ななかなかよいポイントを突いています。
 ところが、主催者側の意外な返答に驚きました。
「そのようなドラスティックな改革は、絶対させません」
 まさに馬脚を現したという感じで、裁判員に四の五の言わせるような、そんな心配は無用といわんばかりの返事です。
 裁判官は裁判員の意見は聴きおくが、最後は自分で決めるという市民参加をお茶に濁す、改革とは名のみ、表面的に多少の手直しをするという程度の議論でしかないのです。
 石松先生が提起される疑問はまだ幾つもあり、市民にとって非常に重要なことですから、詳しくは先生の意見書を熟読されてください。

 そもそも陪審がいいか、参審がいいかなどの論議はすでに大正初年、大場茂馬、江木衷、花井卓蔵、原嘉道らの優れた先達が論議を重ね、裁判官だけに事実認定を任せておいては危険であり、その独占権に終止符を打ったのが大正12年に成立した陪審法です。
 昭和3年に施行、太平洋戦争の最中、18年、戦争の激化に伴い戦争が終わるまで停止とした戦時特別法によるものですが、これを戦後60年近くも放置してきた政府の怠慢は重大です。
 陪審法は戦前から存在した実定法、つまり制定法であり、今更新たに参審まがいの裁判員制度などを問題にする余地はないのです。
 ーー参審裁判所は通常裁判所に優り、陪審裁判所は参審裁判所に優る。
 という大正陪審法は、いったいどのような理由によって国民の目から外に押しやられてしまい、参審論議、裁判員論議となったのでしょうか。
 ーー市民のための司法改革。
 と標榜した以上、中坊さんたちの司法制度改革審議会がまず問題とすべきだったのは、陪審法の再施行、旧法の軍国主義的、非民主的諸規定であり、これを今日的に修正するのが第一の仕事であったはずです。
 現在の刑事裁判は、絶望に近い破綻状態にあります。捜査・公判の運用は堕落し、捜査段階で作られた多くの書証が証拠調べされ、被告人を強要して作った検事調書も任意性ありとして証拠となり、無実の者を有罪とするケースが無数にあります。免田・財田川・松山・島田事件などは氷山の一角であり、まさに人質司法、調書裁判といわれる憂うべき現状です。
 裁判はもともと検察に対するチェック機能でなければならないのに、被疑者は代用監獄に勾留されたまま、弁護人との接見もほとんど許されず、捜査官の一方的取り調べにさらされ、そうして得られた違法な自白調書を証拠排除する毅然とした裁判官が少ないのも残念です。
 裁判は被告人に対する権力作用であってはならないのです。そのような意識が裁判官にあれば、重要な証拠を見逃し、あるいは証拠法を邪魔もの扱いにして誤判の原因となります。
 弁護人の接見交通権が妨害されたり、長時間の取り調べの結果得られた自白は、それだけで証拠から排除されるべきことを承知しながら、そうしないのも権力意識といえるでしよう。
 警察や検察の違法捜査を裁判所が黙認しているふしがあります。
「捜査に関する法制及び運用は、自白の獲得が容易にできている。その上に、公判の証拠法等の運用が捜査に反映して、自白中心の捜査の構造を構成する」
 と自らも裁判官であった生田暉雄弁護士は、石松竹雄先生の判事退官記念論文集に書かれています。
 こうした刑事訴訟法の恣意的悪運用に歯止めをかけるには、証拠法をきちんと裁判官に守らせる睨みの存在であり、これを証拠能力の問題として厳格かつ自主的に判断する陪審制の再施行しかありません。
「陪審制のエッセンスは、裁判官から離れて市民が主体的、独自の判断ができるところにある」
 とジャパン・タイムズの記者がうまく僕の話をまとめてくれました。
 陪審制の主張はステレオタイプで古くさく、裁判員制があたかも時代に即した斬新なアイデアのように思うのは、どこかで大きな過誤を犯し、先方の術策に載っているのだと思います。

去年の暮れ大阪からの帰り、京都の佐伯千仞先生のお宅をお訪ねしました。96歳にしていよいよご健勝、青年のように若々しく、「先年、刑法改正のときも僕は最後まで一人で反対して、結果的にはこれがうまく廃案になりましたよ」
 と熱っぽく話されました。
「我々はこれまで誤った主張をしたことはなく、裁判員制度などという愚にもつかぬ、論にもならぬ論議にこちらからすり寄って行く必要はありません。そうすることは、身が汚される思いで、僕は最後まで初志を変えずに生を終えるつもりでいます」 先生の自若とした言葉に、僕は身が洗われる思いがしました。
 僕もまた、先生の驥尾に付すべく、轡を紆げるつもりはありません。

(2)僕の陪審員体験
 もう40年になりますが、1964年9月中旬、一通の陪審法廷への召喚状がわが家に舞い込んでこなければ、僕は作家にはなっていなかったと思います。
 その体験がなければ、書いたこともない小説を書こうなどという気にはならなかったろうし、僕のライフ・スタイルは十年一日のごとく変わらなかったでしょう。
 ゴルフとワインが何よりの楽しみで、車好きでしたから今頃はベンツをジャガーに乗り換えて、得々とした生活を送っていたかも知れません。
 そのような世俗的、利己的な人間を多少なりとも変えてくれたのが、陪審員体験ではなかったかと思います。
 と言っても、日本復帰前の沖縄で僕が米国民政府高等裁判所の陪審員をつとめたのは証拠調べに8日、評決に3日の11日間にすぎません。当時、僕は横浜市にある本社と新たに設置した沖縄支社との間を行ったり来たりの生活をしておりました。
 それまでの僕は、裁判というものにとくに関心はなく、国民が一々心配しなくても、専門の学問を積んだ裁判官が公正に判断してくれるだろう、裁判所に任せておけばよいーーそんな安易な信頼感を他の人々と同じく抱いていました。
 ところが、わずか11日間の陪審員体験が、僕を変えたのです。何がどう変わったのか、よくわかりませんが、会社の経営にも嫌気がさし、人が命を大切にするのは幸せな一生を送るためで、齷齪と名利や財を追うことにすり減らしてはつまらないと感ずるようになりました。
 そして、この作品を書く暗中模索の過程で、物の考え方が少しずつ変わって行きました。
 まず、権利の理念と公平無僕の精神を誰からともなく教えられ、被告人の権利を尊重し、自分の権利についても考えるようになりました。
 社会を共有するのは自分たちです。社会を善くするのも悪くするのも市民の責任で、市民は社会に奉仕すべき義務のあること、つまり陪審制度は民主主義的な自治の精神から成り立っていることを知りました。
 国の司法制度にも注意を向けるようになって、重罪については有罪無罪を決めるのは裁判官ではなく、12人の素人が全員で決める方がよりよい制度であり、国民主権の国にふさわしいシステムだと考えるようになりました。
 しかし、しばしばぶつかるのは、「教育程度も高く、専門の訓練を受けた裁判官による裁判の方が、法律の知識もなく、教育程度も低い一般市民からなる陪審による裁判よりも安心ではないか」
「O.J.シンプソンのような金持ちの被告人が、優秀な弁護人を雇えば、陪審はその弁論に惑わされて、被告人に有利な評決をするのではないか。貧乏人の場合は、その反対」
 といった官尊民卑を脱しきれない質問です。
 アメリカの学者、ベンジャミン・キャプランは、刑事と民事に事件を分け、刑事事件の場合、陪審裁判は次のような意味をもつと説明しています。
 国家が個人の生命・自由・名誉を奪おうとするその前に、被告人の罪責とその限界が単に職業裁判官の心に明らかになっただけでは足りず、市井の凡人たちーーいやむしろ、そういう一般の人たち12人全員の目に納得のゆくものでなければならず、しかも全員一致の見解でなければ被告人を有罪とすることはできない、というのです。
 陪審の評決には重要な意味があります。
 先年、京都大学とアメリカン・センターが模擬陪審を実演したときのことですが、有罪方向の証拠が多かったにも関わらず、全員日本人からなる陪審は無罪を評決しました。
 これを意外に思ったある大学教授が、裁判長に質問しました。
「裁判長の心証が異なった場合、どうなさるのですか?」
 裁判長は怪訝な顔を教授に向け、答えました。
 "Absolutely nothing." (絶対的に何もできません)
 僕のそばにいた京都地検の山崎さんという公判部長が、
「だから、陪審裁判はダメなんだ」と言いました。「検察は直ちに控訴する!」
「控訴なんか、できませんよ」
 と僕は言ってやりたかったんですが、恥をかかせてはいけないと思って黙っていました。
 裁判官にすら何もできないものを、検察が不服申し立て、つまり控訴など許されていないのです。
 これが僕は陪審制の美点の一つだと思います。陪審の無罪の評決は誰も動かすことができないのです。有罪の評決は、それが明らかに不合理である場合には、裁判官はこれを取り消すことが許されています。
 東京の「陪審裁判を考える会」で陪審草案を討議していたとき、上訴のところで、「無罪評決に対して、検察が控訴できないというのは整合性がない」
 と言って、わが会の草案はそのようにすべきだと五十嵐双葉弁護士が主張して、手を焼きました。何と説明しても、聴く耳をもたないのです。
 キャプランは、そこに陪審裁判の存在意義があり、
 ーー陪審が被告人に対する手続き上の保障の一つとしての役割を果たし、素人の判断によって職業裁判官の判断を助け、長期間にわたって刑法の妥当な適用を確保し、就中、手続きに対する国民の信頼を高めるのに役立つと考える理由がある。
 と述べ、被告人に対する、
 "An additional procedural safeguard"ーー手続き上の二重の安全弁としての機能。
 を指摘しているのです。
 市民の味方であるべき弁護士が、法律家であるにも拘わらず、さきほどの女性弁護士や公判部長のような考え方をするのは困りものです。
 陪審はこうして、
 ーー極端な場合には、法の衣のもとで行われる国家権力による人民迫害に対する障壁ともなり得る。
 とキャプランは強調しています。
 刑事裁判において、被告人と国家は厳しく対立します。
 もし、被告人の人権が侵されることがあれば、それはその人一人の問題ではなく、国民全体の自由と人権に大きく関わります。
 だから、裁判は裁判官だけに任せておいてよい問題ではなく、国民全般が考えるべき問題で、国家の権力行使である裁判に国民が関与するのは当然だと思うようになりました。
 まして、司法の改革となれば、これはもう法律の専門家だけに任せておくのは余りにも重大すぎる問題で、市民が加わるのは当然だと思います。
 証拠法の大家ウィグモアは、陪審制度の美点の一つに、司法制度に対する一般の人々の関心を高める教育的機能を挙げています。裁判が少数の専門家だけによって行われるのではなく、それに関わる人が多ければ多いほど、市民の司法への関心は高まり、そのことが民主社会にとって非常に重要なのです。
 陪審制度のメリットは、優れた司法制度としてだけでなく、優れた政治制度である点にあると思います。

(3)陪審裁判を求める声
 1981年の秋、評論家の青地晨さんから電話をいただきました。
 青地さんは免田事件をもとにした『冤罪』の名著で知られ、太平洋戦争下の昭和17(1942)年、神奈川県特高警察による言論弾圧事件(横浜事件)に関わって逮捕され、磯子警察署でひどい拷問をうけました。その凄まじさは、死者が三人も出た事実が物語っています。その体験をもとに、青地さんは常々警察の違法な取り調べを止めさせるため、市民の会をつくろうと熱心に提案されていました。
 戦後、基本的人権は憲法に保障され、りっぱな刑事訴訟法もわが国にはありますが、依然として捜査の中心は被疑者取り調べにおかれ、裁判所が警察・検察に過分な裁量権を与え、刑訴の理念や証拠法則を厳しく守らないため、冤罪事件はあとを断ちません。
 これを防止し、青地さんの言われる捜査の体質を変えるには、裁判の制度自体を変える必要があり、裁判過程や捜査手続きに影響を及ぼすのは証拠法則の睨みの存在である陪審制しかないと僕は常々考えていました。
 ーー警察の取り調べと、陪審制度といったい何の関係があるのか。
 青地さんは最初はけげんな顔をされましたが、陪審制をもつ国ともたない国とでは、明らかに捜査の体質が異なります。
 異なるのは、
 ーー憲法に規定される人権が、実質的に保障されているか否か。 であり、英米ではその点、代用監獄の廃止すら未だできないでいるわが国とは比較になりません。
 その差は、
 ーー自白中心主義に立つことができないような制度になっているか否か。
 であり、陪審をもつ国では、捜査官憲の取り調べにも市民の目が光っていますから、違法捜査は許されません。自浄作用も働くでしょうし、捜査のあり方もしぜんに改善されるわけです。
 連邦最高裁がミランダ判決によって、警察の「法に対する故意の不服従」を警告したのも、弁護士たちの30年にわたる絶えざる努力が結実したからですが、その背後に陪審の力が大きく働いたからに他なりません。
 ーー陪審は、事実の決定以上のことをする。
 とは、実際上、実体法に影響を与えていることを指すものと思います。
 そのころ、僕はよく新橋烏森の飲み屋で元裁判官の上治清弁護士と落ち合い、『戦後改革・4司法改革』(東京大学出版会)などをめぐって話し合っていました。さっそく相談を持ちかけると、森長英三郎先生の意をうけた関原勇弁護士、青木英五郎先生の弟子をもって任じる倉田哲治弁護士も加わり、ともかくも「陪審裁判を考える会」を発足させようということになりました。
 第一回の集まりは、翌八二年四月、刑法学会に出席した庭山英雄(中京大)、繁田實造(龍谷大)、篠倉満(熊本大)三氏の上京を機に東西呼応する形で開かれました。松川事件で有名な後藤昌次郎さんが新たなチャーター・メンバー(設立委員)として加わわりました。
 その年の夏期合宿は、伊豆長岡のホテルで開かれ、「オクスフォード大学の陪審研究」を繁田教授、「デヴリンの陪審論をめぐって」を庭山教授、「官僚論」を篠倉助教授がそれぞれ講演し、僕はカルヴェン・ザイセル共著『アメリカン・ジューリー』("American Jury")の報告をしました。
「合理的疑いを超えた立証なしに有罪評決をしてはならないという基準に陪審員は裁判官より大きなウェイトを置く。陪審は事件を理解し、証拠に従うあらゆる徴候が見られる」、「裁判官が陪審の無能力を訴えた事例はほぼ皆無で、陪審員は正解能力をもつ」
 という結論です。
 その夜は、例によって酒となり、陪審制度はあと何年したら導入できるかが話題になりました。
「百年はかかるって東大の平野龍一教授は言ってるそうだよ」と倉田さんがつぶやくと、「僕は三十年をメドにしています」上治さんが言いました。「僕の目の黒いうちにまず参審、土壌ができあがれば陪審を実現したい」
 僕はドイツの参審制には反対していたのですが、上治さんを尊敬していました。中学校も出ずに専検で大学受験資格を得て、昼は働き夜学を出て裁判官になったまさに努力の人、庶民の感覚を大切にする人でした。そして、新橋の飲み屋で陪審制度の共和的特性、国民主権的意義を二人で共鳴しあっては、司法制度としてのみならず、すぐれた政治制度としての機能を重視するところにも共通項がありました。
 陪審は訴訟に重大な影響をもつだけでなく、社会全体により大きな影響を及ぼす政治制度だというA・トクヴィルの視点です。
 翌年の夏期合宿には、新潟大学の澤登佳人教授がフランスの刑事陪審と近代証拠法について話され、目から鱗が落ちる思いがしました。
「今日の文明諸国の刑事手続きは、もともと陪審裁判を前提とした構造であり制度技術である。したがって陪審制度と切り離されたとき、その形式は存し得てもそれを支える活力、それを動かす推進力の半ば以上は失われる。とくに英米法的な当事者主義的訴訟構造と証拠法則にとって、陪審の不存在は致命的である。なぜなら審理を通じて物言わぬ判定者たる陪審の存在こそ、当事者主義の真髄なのであり、証拠法則を要求する無言の睨みなのであるから。審理過程を整理にあたる裁判官が同時に判定者を兼ねるとき、彼の手続き指導がただの交通整理にとどまらなくなり、判定の材料を見つけようと積極的に審理内容に容喙してくることは到底避けられず、審理の実質面をリードすることになる。かくて陪審の不存在は必然的に職権主義を導く」
 裁判官が証拠法則の厳格な適用を怠り、恣意的運用に走る結果は誤判への大きな危険をはらむという説明は説得力に富むものでした。
 ケンブリッジ警察で実習をうけたことのある庭山さんの、「イギリスの警察は民衆警察、日本の警察は国家警察」という説明にも興味深く耳を傾けました。ヨーロッパで最初に軍隊的警察を整備したのはフランスですが、これに倣うことをイギリスでは拒否しました。
「イギリス国民はフーシェ的警察(国家警察の創始者フーシェに因んでフランス警察をそう呼んだ)をもつよりは、ロンドンのストリートで毎夜何人かの市民が喉を切り裂かれるほうがまだましだ」
 というのです。
 人権保障に厚いといわれる戦後の刑事訴訟法に、なぜ321条以下の抜け穴ができてしまったのかという疑問が、長い間僕の脳裏を去りませんでした。
 例えば、公判で証人が捜査段階で検察官に取られた供述調書と異なることを言うと、その供述調書が証拠能力をもち、裁判所に出される。この場合、その調書が「公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するときに限る」という条件がついているのに、ほとんど例外なくその条件に合致するものとして証拠採用され、公判での供述は無視されます。また被告人の供述調書の任意性に疑いがあるという形跡が法廷に現れても、裁判官はそのような判断をしないのが普通です。このような勝手がなぜ許されるのか。
「刑訴は死んだ」と言われたのは、もう30年も昔のこと、改正が叫ばれても、その兆しは当時から見られませんでした。
「やっと判りましたよ」
 ある日、京都の佐伯千仞先生から電話をいただき、分厚い封書がとどきました。丁寧に根気よく手書きをされたその説明が、石松竹雄判事退官記念『刑事裁判の復興』(勁草書房)所収の名論文「証拠法における戦時法の残照」です。
 戦前ですら証拠能力を認められなかった検事調書が、戦時特別法を経て戦後も証拠能力を得るにいたった経緯が的確に記されています。そのほか陪審草案を作ったときにも、先生の「実戦的」示唆は非常に貴重でした。
 多くの冤罪事件を闘った後藤さんからは、あるべき政治の理念を教えられました。国民の基本的人権を守るのが政治であり、これを遂行してこそ国家の意味があります。真実に反し、正当な理由なくして国民の基本的人権を奪う、これが冤罪です。
「国家による権力犯罪とは、戦争と冤罪だ」後藤さんは言います。「だからこそ、国家権力の中枢をなしている警察・検察、裁判所、それから軍隊そのものである自衛隊の反動的な動きに対して、国民は人権を守るという一点で闘わなくてはならない。冤罪を出さないための闘いはそこに本質がある」
 こうして「陪審裁判を考える会」の運動はしだいに根を下ろし、会合は毎月開かれ、四宮啓弁護士が長期にわたって事務局を担当し、徐々に会員も増え、大阪の「陪審裁判を復活する会」や「新潟陪審友の会」をはじめ、全国に同種友好団体が生まれていきました。 飲み友達の前田知克弁護士が入ってきたのはいいが、現職の裁判官だった下村幸雄さんの入会には、最高裁事務総局あたりに睨まれはしないかと気をもんだものです。
 陪審制の実現という司法改革を正面切って押し出した市民運動は先例がなく、運動には幾多の困難が伴いましたが、23年後の現在、最高裁、政府司法機関も無視できない力となりつつあります。
 会発足に尽力し、陪審制度の復活を熱望した森長英三郎、和島岩吉、青地晨、上治清、野間宏、藤井一雄、倉田哲治の諸先輩は、すでに鬼籍に入られてしまいました。

(4)司法制度改革審議会
 2001年6月12日、司法制度改革審議会は「21世紀の日本を支える司法制度」と題し、最終意見書を発表しました。審議会は1999年夏、内閣の人選による13人のメンバーによって発足し、論議を重ねてきましたが、論議はこの月の1日、すべて打ちきられ、中坊公平、高木剛委員らが被告人の希望で陪審を選択できるよう、あるいは将来、陪審への移行の可能性を明記しておくよう最後まで主張されたそうですが、結局は盛り込まれませんでした。
 7月18日、東京の飯田橋で第7回の「司法改革市民会議」が開催されました。
 市民会議は、官製の司法制度改革審議会に対抗する形で結成され、右崎正博、小田中聡樹、庭山英雄、広渡清吾、増田れい子さんらと一緒に僕も委員の一人に選出されました。
 そして、国家や財界のためでなく、「市民主体の司法改革」を目標に、改革審の審議の進展に並行してテーマを選び、シンポジウム形式の会議を積み重ねてきました。 市民会議は、審議会の最終意見書に対応するものとして、「意見書は市民の願いに応えているか」と問題を提起し、司法改革の理念と方向についての総論、労働・行政裁判・刑事司法・ADRを中心とする司法制度、法曹養成、弁護士制度のあり方、国民の司法参加など、広範囲にわたって意見を述べあいました。
 改革審の最終報告は、評価が二つに分かれました。
「闘った成果と力量不足で取れなかったものの両面を見るべき」
 とする、一面は評価する意見と、
「そのような平板な見方は、本質の把握を放棄するもの」
 という否定的見解です。
 小田中聡樹(専修大)委員は、刑事司法および裁判員制度について強く批判しました。
「意見書は、適正迅速な処罰の第一義的重要性を強調し、適正手続き重視に対し強い拒絶的対応を示している。刑事免責や参考人協力確保など、捜査手段の拡大を追求する一方、身柄拘束システムの改善(代用監獄廃止など)や取り調べ改善には一切取り組まないことを明言している」
「何の根拠も示すことなしに陪審制度要求を切り捨て、参審制度類似の裁判員制度を提案している。初めに結論ありき式の、政治的計算づくの権力的思考に基づくものである。この制度の評価にとって重要な裁判員数や評決方法について具体案を示さず、無責任極まる。意見書の改革提案は、基本的人権の保障、司法権の独立の保障、公正な裁判を受ける権利の保障、適正手続きの保障という憲法の司法原則に照らすとき、明らかに退行的であり、逆行的である」
(「法と民主主義」360号)
 その夜はいつもの懇親会に出席もせず、小田中さんと二人で東京駅へ向かいながら、いろいろ話し合い、
「伊佐さんだけは、最後まで陪審を主張してくださいよ」
 とハッパをかけられました。
 矢口洪一元最高裁長官が、裁判所と国民との間の距離を短縮するため、裁判への国民参加を提唱されたのは十数年前のことでした。その後、亀山継夫判事のように陪審制に理解ある方が最高裁入りされたのを歓迎していたのですが、事務総局が以前にも増して司法独裁の継続と事実認定の独占権に汲々とする姿に唖然としました。
 市民会議の発足にあたり、司法改革について提言を求められ、僕は、
「改革の急務は国民の実質的な司法参加にあり、参審制では形だけの参加となって、裁判官主導型になってしまう。刑事訴訟法のこれまでの恣意的運用からも、市民が専門家意識の強い裁判官を相手に主体的判断を下すのは難しく、社会の理性と民意の反映も困難になる。参審では司法への市民参加とはいえない」
 と予め釘をさしておきました。
 しかし、審議会は、口先では民主主義社会にとって市民の司法参加がいかに重要であるか、市民に信頼される裁判を強調しながら、停止されたままになっている陪審法については論議を避け、軍隊に対するシビリアン・コントロールと同じく、専門家集団に対してはシビリアン・コントロールが必要だという三谷太一郎氏の意見にも耳をかしませんでした。
 結局、なすべき論議はそっちのけで、
「真実主義が後退する」
「評決には理由が付されず上訴できない」
「国民性に合わない」
「市民の負担が大き過ぎる」
 などの無知、無根拠、非科学的な言いがかりをつけて陪審法を済し崩しに廃案にもちこもうとする魂胆が明らかで、ドイツ型参審制を軸に方針を打ち出してきたのです。
 その参審すら、最高裁は最初から「評決権なき参審制」を提起していたくらいですから、事実の認定に市民をタッチさせまいとする露骨な意図は見え見えでした。
 陪審制を通じてこそ、国民と司法は結びつき相互の信頼が生まれるのに、市民の信頼と協力を求めながら、市民を低く見る優越意識からは真の司法改革など生まれるわけはありません。
 刑訴法は高等数学のように難しい学問ではなく、裁判は常識によって判断しうる単純な事実に基づいており、その判断過程に市民の常識がどうしても必要なのです。
 このように後れた議論でなく、すでに大正の昔、江木衷、原嘉道、花井卓蔵らすぐれた先達が参審制も含めて論議を重ね、裁判官の事実認定権独占に終止符を打ったのが、大正陪審法であったことは、すでにお話ししました。
 戦時特別法により停止のやむなきに至りましたが、これは廃止ではなく、戦争終了後再施行を政府に課したもので、参審制などの選択肢を許した法律ではありません。

(5)自由の灯
 繰り返しになりますが、参審制や裁判員制では官僚裁判官に市民裁判員はコントロールされ、物言わぬ裁判員になる恐れがあります。市民が権威的な裁判官と対等に議論し、独自の結論を引き出す決定的役割を果たすことは困難です。証拠法は証拠能力の問題として厳格に守られず、特信状況の判断など現在よりもっと悪くなる可能性があります。刑訴の運用は裁判官に引きずられ、冤罪の病巣である調書裁判の弊害を打破できません。このような制度の非を今声を大にして叫ばなければ、禍根をまたしても次の世代へ残すことになります。
「国民が事実認定について、絶対的な権限と責任をもち、真に主体的に司法に参加する陪審制度のもとにおいては、公判中心主義に向けての現行刑事訴訟法の規定と運用の改正が必然的とならざるを得ない。ところが、そのような改正を避け、現在の状態を温存しつつ、国民参加を形の上で実現するために裁判員制度が採用され、現在それを推進しようとしているのではないかとも考えられるのであるが、そうでなければ、その根拠を示されたい」
 と石松先生は強く求めておられます。

 『逆転』を書いてから、もう30年あまりの歳月が流れます。それ以前から国民の司法参加は主張され、刑事訴訟法の改正もずっと叫ばれてきました。だが、法曹三者や学者間では価値観が対立、実質的改正は一度もありませんでした。その立法の怠慢を正すべきチャンスが到来し、司法制度改革審議会が2年間にわたって論議を重ねてきたというのに、最終報告のいう「法」とは「秩序」を意味し、処罰の迅速化を強調、適正手続き、基本的人権の保障には目を反らし、市民の司法参加も形だけでお茶を濁そうとしています。
 陪審裁判の停止もしくは削減は、独裁者の望むところ、市民が陪審裁判を受ける権利を奪われることは、独裁的な政治へ移行する徴候といわれ、それに甘んじる覚悟が必要です。形骸化した刑訴の現実を真の公判中心主義の実現に向けて諸規定及び運用を改め、裁判員制度の実施と同時に現存する陪審法を修正、再施行しなければ日本の社会は変わりません。
 権利は戦いによってのみ守られ、実現されるというイェーリングの言葉を噛みしめつつ、話を終えます。
 ご静聴、ありがとうございました。

2004年5月14日 横浜開港記念館7号室にて


陪審裁判を考える会
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